経歴と所感

2000年

・近畿大学文芸学部入学
 近現代を中心に小説の世界にずっぽりとはまった4年間を過ごしました。好きな作家は、夏目漱石、谷崎潤一郎、中上健次、村上春樹、宮部みゆきなど。

・アルバイトとして塾講師を始める
 初めの数年は、授業ではなく個別指導講師として、中学生と密接に関わってリアルな声を聞き、感じ、もみくちゃになりながら指導をしていました。入塾テストを行っていない塾であるため、実に様々な生徒と関わることができました。「どんな成績、どんな性格の中学生にも対応できる指導力」を得られたあのときの環境が、今の自分に繋がっています。そんな彼らと奮闘しながら、生徒の間違えるポイントを知り、それを直していく方法の基礎を学びました。

2004年

・近畿大学文芸学部卒業
 大学の4年間で、人と比べず、人目を気にせず、自分の好きなことを楽しむことを学びました。また、小説の新しい読み方を知り、その視点を、実生活を含めたいろいろな場面に応用できるようになったことが、大学で学んだ一番良かったことではないかと思います。

・専任講師として集団の授業を任されるようになる
 初年度のことは今でもよく覚えています。稚拙で不器用でしたが、パワフルで、一生懸命でした。今思えば、あの頃の私は彼らと同じ「子供」で、目の前のことに精一杯向き合いながら、いっしょに成長していたのではないかと思います。諸先輩方だけでなく、生徒たちにも支えられながら、いっしょに授業を作っていました。

2023年現在に至るまで

・「生徒たちといっしょに授業を作る」という感覚は今でも変わりません。以前と違うのは、その流れをコントロールできるようになったという点です。コントロールと言っても、生徒たちを型にはめるのではなく、個性と向き合いながら、少しずつ自然にいい方向に導くという、以前に比べると、少し大きな視点で生徒たちと接し、授業を作っています。それでも、ときには「子供」のようにいっしょに楽しんだりぶつかり合ったりするような授業をすることもあります。一方的に教える「先生」としてではなく、互いに敬意を保ちながら、生徒たちとはいつまでもそんな関係でありたいと思っています。




実績と所感

・実績として、(大阪府公立の)文理学科を置く、いわゆる「偏差値が高い高校」へ合格させることも、その合格者の中で比較しても高得点をとるよう指導できることも、下記の通り生徒たちが実証してくれています。

※近年のうち、生徒から集計できた年度のみ記載



・しかし、私は、上位校への進学実績のみを「実績」とする見方には、違和感を覚えます。2023年度入試では、(1科目以上)C問題を採用した高校の割合は、全体の約17.7%です。その20%に満たない生徒の進学実績だけをとらえて「実績」とするのは、あまりに極端ではないかと思うのです。
 残り82.3%の中学生をもしっかりと導いてこその「実績」だと私は考えます。本当の意味での実績とは、様々な生徒をどれだけ指導できるかを見るべきであり、それには、大半の高校が採用するB問題の結果を比較することの方が実情を示しているのではないと思います。

(標準)B問題(英語)合格者全体の平均
(90点満点)
塾生の平均
(90点満点)
塾生 / 合格者全体
2022年49.7点59.0点119%
2023年47.9点53.7点112%
※近年のうち、生徒から集計できた年度のみ記載

 この生徒の中には、5科目で450点未満の様々な生徒が含まれます。90点はとれるが95点はとれない者、80点台には乗るが90点に届かない者、平均は超えるが80点を超えない者、平均点をとれない者、宿題ができない者、時間が守れない者、不登校になった者、など本当に様々です。しかし、彼らもこうして、最後には結果を出してくれています。私の指導の効果もありますが、彼らが3年間頑張ってくれたことがこの結果の一番の要因だと思います。



塾講師として思うこと

 このようにして、私は2000年から20年以上にわたって英語をメインに塾講師をしてきたわけですが、初めの頃と現在とで、変わらない事と変わった事がいくつかあります。
 
 変わらない事は、生徒を、点数だけではなく、人間としても成長することに力を注ぎたいと思っていることです。中学生は本当に多感で不安定なものです。その最中にある彼らにとって、信頼でき、正しく導いてくれる身近な大人の存在は重要です。自分にその資格があるのかはいまだにわかりませんが、「大事な話」をするとき、生徒たちはいつもとは瞳が変わって聞いてくれるものです。(授業もその瞳で聞いてほしいのですが笑)時間を守る、(宿題等の)期日を守る、人の話を聞く、与えられたものをきちんとこなす、など、彼らがこれからの人生で必要になるいろいろな事を勉強を通して教えてあげられたらと思って接しています。そして、それができる生徒は、おのずと成績も伸びるものです。一部のトップ私立高校を除けば、高校入試に学力の差は大きく影響しません。先生の話を聞いて、真面目にきちんとやってきたか、それだけで結果は出るものです。個性は大事ですが、例えば「覚えるのが苦手だからこの科目はできない」というのは、私は個性を誤って理解している場合が多いのではないかと思っています。隣の友達が自分の2倍覚えているのなら、その友達にどれだけ勉強したか聞いてみるといいでしょう。恥ずかしくて正直に言わないかもしれませんが、きっとそれ相応の勉強量をこなしているはずです。天才なんて、めったにいません。結果を出す人はそれだけの時間をかけているのです。
 一方、友達と同じだけ時間をかけているのに結果に差が出ることもよくあります。ここでこそ「個性」を正しく理解することが大事なのではないでしょうか。「自分は覚えるのが苦手な個性を持っている」と。ここで自分の個性と真正面から向き合い、受け入れて、では、自分ならどう乗り越えればいいのかを考え行動する、それこそが生きる上で重要で、勉強から学べる最も重要な事だと思います。自分の持つ個性を知り、壁を乗り越える独自の方法を導き出す。そのつまずきそうになるときに、自分が彼らを支えられる存在になれたら、こんなにうれしいことはありません。

 一方、変わった事は、一つは、待つことができるようになったことです。若い頃は、すぐに結果を求めて、感情的に一喜一憂していましたが(それも若さによる良い点なのかもしれませんが)、今は、「成長を待つ」という視点が、生徒と接するときに私が大事にしていることの一つになっています。今日がダメなら明日、明日がダメなら、明後日、1年後、入試までには、(極端な例ですが)大人になったときに、もし何かができるようになれば、「今日」は無駄ではなかったと思って、彼らが「そこにたどり着く」のを待つようにしています。成長のスピードは人それぞれで、体や年齢は中学生でも、精神的にはまだ幼い生徒もたくさんいます。彼らを他の中学生と同じように、「中学生」として扱っては、彼らは混乱するだけです。彼らの成長スピードに合わせて、少しずつ「次のステップ」を与えてやることが、長い目で見ると大事であるだけでなく、効率的であったりもします。
 もう一つは、指導力です。私は、生徒の間違えるポイントやつまづくポイントを頭に入れながら、反省しながら授業を進めます。「自分の教え方が完璧だ」などと思ったことはありません。生徒が理解できない半分は私たちの力不足によるものです。今年つまずいたポイントは翌年改善して教えます。それがうまくいけば、より精度が上がるよう、その教え方をブラッシュアップしていきます。それを毎年繰り返し、「全員が理解できる」という輪の直径をどんどん広げています。これも入塾テストを行わない環境で揉まれた結果得られた技術ではないかと思います。偏差値40未満から70以上まで、様々な生徒と接し、そのすべてを満足させる授業をすることはとても難しいことです。その技術を磨いた結果が現在の私の授業で、それが成功しているのは、生徒たちから良い声をたくさんもらっていることと、上記の入試結果が、その証明になるのではないかと自負しています。

 これが私のこれまでと現在の考え方です。私はこれからも昨年の自分を乗り越えて、生徒と共に成長していくつもりです。
 
 最後まで拙文にお付き合いいただきありがとうございました。

Inoue(e)