仕事を辞めて海外へ行くことにしました②

40歳を過ぎた頃に、一気にすべての物事が夢に向かって加速しました。
① ますは、長年の最大の夢である「自分の塾を開くこと」が年齢的にギリギリになってきたなと思い始めました。元来、私は、行動や考えが年齢に左右されることを嫌う性格なのですが、それでもいつかは死ぬことを思うと(40歳は人生の折返し地点)、さすがにそろそろ行動に移さないとな、と思い始めました。
② 次に、司法書士の資格を取ること、この夢も持ち続けていました。この資格は私の人生には必要な資格だと一種の自己暗示のように思い続けていました。なぜか。到底超えられなさそうな壁に挑戦したいからです。「…は?」ですよね(笑)(まだ「は?」が続きます笑)私は、自分の限界を知りたい、そして、すべてを投げうったような努力をしてどこまで行けるのかを知りたいのです。馬鹿げていると思う人もいるでしょう。だから、これは怖くてブログにしか書けません(笑) 批判的な(一般的な)意見があまりにも予想できます。結果ではなく過程を重んじているのです、いい大人が(笑) しかし、私は、いわゆる「血の滲むような努力」をせずに死にたくないのです。スポーツ選手などを見て、「観客として」憧れ続ける人生を歩みたくないのです。その努力を、苦悩を、喜びを、死ぬまでに経験したい。そして、その努力で得た「自分の限界」を新たなスタート地点として、次の成長に繋げたい。そう思って生きています。
また、その収入を副収入とすることができれば、月謝の安い塾を開けるかもしれない、その夢がもう一つのこの資格に挑戦する理由です。これには「結果」が不可欠なので、現状はまだまだ「大風呂敷な夢」ですが、自分が塾で働いていて最も辛かったのが、「家庭の事情」で塾を辞めざるを得ない生徒に出会ったことでした。そればかりは、生徒や家族の努力の問題でもなければ、私の努力でどうにかできる問題でもありません。そういう生徒に出会う度に、無力であることを痛感させられました。塾も商売である以上、「しかたない」と割り切らないといけないのかもしれませんが、少しでもそういう生徒を減らす方法がないかと考え続けたときに思いついたのがこの夢でした。塾の仕事は、夕方までは比較的時間があります。そこを副収入のための時間に充てることができれば、と思ったのです。そして、それがYouTubeをやっている理由にもなります。YouTubeもその夢を支える副収入になるかもしれない、と(なかなかチャンネル登録者数って増えませんね笑)。そんな夢のための司法書士試験の勉強。口では立派なことを言う割に、日々の生活に埋もれてしまっている勉強。そこにもう一度、真剣に向き合いたい、この頃に強くそう思うようになりました。
③ さらに、「中学生に勉強を教える」というこの仕事への自信が確かなものになってきたのもこの頃でした。完璧だとは思っていませんでしたが、この塾で22, 3年働いて、ようやく「雇われている先生」として学べることは十分学ばせてもらったと思えるようになりました。そろそろ自分が塾長になるという次のステップに進んでもいいんじゃないか、と。この仕事では、あらゆる成績の生徒一人ひとりに対して、「勉強を教えること」「前を向かせること」「気持ちに寄り添うこと」が必要だと思うのですが、この頃になると、それらを無理なく楽しみながら実践できるようになってきたという感触がありました。悟空が通常モードでスーパーサイヤ人の状態を維持できるようになったのに近いかもしれません(笑) 他塾では、早ければ数年で室長を任される人もいる中、これだけの年月がかかりましたが、そのことに後悔や負い目はありません。あの生徒やこの生徒と出会っていなかったのかと思うと、この年月は自分には必要な年月だったと納得できるからです。この仕事で成長するには、できるだけ多くの生徒と真剣に向き合うことが一番だと思っています。頭の良さや能力の高さが一番ではありません。だから、私は、この仕事には時間がかかり、時間をかけても終わりというものはないと思っています。100人の生徒を満足させられても、101人目にはきっと、全然違う生徒が、新しい何かを身につけないと対応できない生徒が現れる、それを経験上知っているからです。
しかし一方では、20年以上かけてすべての生徒に真剣に向き合ってきたことで、「一つの答え」にたどり着いたという感触もありました。すべての生徒との年月の積み重ねが、ようやく一つの「自分なりの答え」と言えそうなものとして、実感できるようになってきたのがこの頃でした。
42歳の夏、これらがひとつに交わったような感覚が、部屋でぼーっとしていた私に突然訪れました。「夢」やら「結果」やら「見通し」やらという名を冠して、すべてが見事に重なり合ったのです。そして、30年の時を経て、ようやく現実味を帯びたものとして、「よし、塾を辞めて海外へ行こう」という独り言が突然口から外に出ました。今思い返しても不思議な感覚でした。部屋で突然ぼそっと、なぜかにやにやしながら独り言を言ったのを覚えています(笑) 心の中にふわふわと漂っていた夢が、外気に触れて一気に凝固した瞬間でした。そして、中学生のころに描いたあの夢が、ついに「現実」になった瞬間でした。
塾にもそのことを伝え、その日から、2年かけて実現に向かう日々が始まりました。
しかし、遠目には特に何も変わっていないような生活が続きました。塾、司法書士の勉強、動画編集。私にとってはそれだけで生活がいっぱいでした。そもそも私は、二つも三つも同時進行する能力もなければ、要領よく処理する能力もありません。さらに悪いことに、手を抜くことができない性格も併せ持っています。目の前のことには全力でぶつかることしかできないのです。困った…というより時間のかかる性格です。まあこれはしかたがない部分だと半分あきらめていますが(笑) もう辞めることが決まっている職場です。うまく立ち回ればいいものを、それでも全力で最後まで頑張り続けたのは、やっぱり生徒がいたからだと思います(美談のように書いていますが、組織の人間として必ずしも正しいことではないことはわかっています)。生徒の顔や生徒の未来を想うと、この子たちのためにできることは少しでもしておきたいと、その一心だけで最後まで走り続けました。もちろん、辞めた後にできるだけ影響が残らないように、生徒には1年生や2年生のころから先を見据えた授業を心掛け、後に続く先生にはできるだけ自分の情報を共有するよう努め、教材も作り直しました。それでも、やはり、残す生徒たちに申し訳なく思っていたというのが、本心でした。


