『グッド・ドクター 名医の条件』-多様性と正直であることについて—

こんにちは、Inoue(e)です。
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X(twitter)やインスタも始めたのですが、やったことがないので、投稿のしかたや、Xとインスタのちがいなど、やっている人からすると当たり前で感覚的にしていることですら、いちいち調べながらやっています。なんでも始めることは大変です。さらに問題集の解説動画として、YouTubeに投稿するための動画も撮っていかないといけないので、やることが多くて多忙を極めています。40代。いい感じの多忙さです。


さて、今日は、Netflixで最近見ている『グッド・ドクター 名医の条件』についてのブログです。ご存知でしょうか?アメリカの医療ドラマです。
主人公のショーン・マーフィは、自閉スペクトラム症とサヴァン症候群を持つ医者の研修医です。自閉スペクトラム症を持つ人は、人とのコミュニケーションが苦手な場合が多く、ショーンも、その症状を抱えています。ショーンの場合、物事の奥行きを理解することができないようで、例えば、嘘や愛想笑い、気遣いなどのような行為や感情を持てないようです。一方、サヴァン症候群とは、自閉スペクトラム症を持つ人の中で、他と比べて突出して高い何らかの能力を持つ状態のことを言うそうです。ショーンの場合、記憶力と3次元の把握能力が突出して高いキャラクターとして描かれています。その能力を使って、外科医としてその才能を発揮するのですが、一方では、なんでもストレートに事実を伝えてしまうため、他の医者だけでなく、患者ともトラブルを起こしてしまいます。

そんな『グッド・ドクター』について思ったことを書こうと思います。まずは、「これは大変だぞ」という感想を持ちました。何が大変なのかと言うと、「人の気持ちを考え、行動すること」です。今の時代は個性や多様性が重んじられる時代です。私も仕事を通してそれを痛感しているのですが、ショーンの行動や感情を見ていて、ドラマ内で描かれているショーンの持つ特殊性は、決して自閉スペクトラム症特有のものなんかではなく、一般的によくあるものだと気づきました。たとえば、ショーンは、自分が暮らしている部屋のある箇所を留守中に修理するよう管理人に依頼したことがありました。ショーンと管理人は少しいざこざがあったので、管理人は気を遣って、他の故障しているところもまとめて修理してあげることにしました。ところが、帰宅したショーンは憤慨します。他を修理するようには頼んでいない!と。特にショーンが許せなかったのは、水道の水漏れの修理でした。管理人は意味が分からず、なぜ修理して文句を言われないといけないのか、と言い返すと、ショーンは、寝るときにあのポタポタという音が聞けないじゃないか、と言うのです。水道から漏れるポタポタという音は、ショーンにとっては大切な思い出に浸るための音だったのです。

そんなん知らんがな、です。あるいは、頼んでいない箇所の修理をした管理人が悪かったのでしょうか。これは自閉スペクトラム症のショーンだから起こったことなのでしょうか。
良かれと思ってやったことが、相手の気に入らなかった、これは、家族間、夫婦間、友人同士、どんな関係においても起こり得ることだと気づいたのです。「個性を大切に」「相手の気持ちを気遣って」「多様性を重んじて」。様々な表現を本当によく見聞きする世の中ですが、私たちは、もはや先回りして相手を喜ばすことはできず、せめて相手を不快にしないことだけを考え、「最大公約数」をとるしかないのでしょうか。本当にそんな血の通いのない時代になったのでしょうか。
そうではない、と私は信じています。私は、ただ単に、悪意がなければいいのではないかと思っています。もちろん悪意なく相手を傷つけてしまうこともあります。そのことを見逃しているわけではありません。でも、もし悪意なく相手を傷つけてしまったのなら、そんなときは、心から謝ればいいだけだと思います。そして、傷ついた相手も悪意がないことを知ったのなら、まずは相手を許して、自分の気持ちを教えてあげればいい、そうやって、互いに少しずつ相手を理解していけばいい、そんなふうに思っています。そのほうが優しい世界になる思うのですが、どうでしょう。今は、少し間違えると、「多様性を否定された」と怒られます。一つの失敗も許容できないような、そんな余裕のない世界は、本当に「多様性を大切に」しているということなのだろうか、と思いました。

次は、正直さについてです。ショーンは、前述したように、物事の奥行きを理解できません。だから、嘘をつくことも、その場を収めるための気遣いをすることもありません。ありのままを伝えます。上司にあなたは傲慢だと言い、患者にあなたはもう助からないと言う。そんなショーンの行動や言動を見て、こんなに「正直に生きられたらいいのにな」と何度か思いました。自分にも他人にも嘘をつくことなく、事実や思ったことをそのまま伝える。ただまっすぐに。
しかし、その直後、私は自分の誤りに気付きました。私は、自分で正直でないことを選択しているのだ、と。ショーンに選択肢はありません。彼は自身が持つ障がいのため、選択の余地なく、そう行動するのです。しかし、私はそうではありません。私は正直に生きることも嘘をついて生きることもできる、その間の苦笑いのような選択もできる。その中で、その場で一番良いと思ったものを選択し、行動につなげているのです。なんて傲慢で甘い考えだと気づきました。正直に生きたいならそうすればいいだけです。改めて、自分の周りの世界は、自分が選択した結果なのだと知りました。しかし、ただ正直に生きることは、人間関係において、しばしば摩擦を起こします。ショーンはどうなのか。
実は、ショーンは、何もただ悪口を直接言っているだけではないのです。傲慢な態度をとる上司に対してただ「傲慢だ」と言ったわけではありません。その上司に、ショーンはこう言ったのです、「あなたは素晴らしい外科医だ、そして、傲慢だ。僕はあなたのような外科医になりたい。あなたのように傲慢であれば、そうなれますか?」だいたいこんな内容だったと思います。ここが私がショーンを通して感心した点であり、私が話していて心地よく感じる人の話し方に共通する部分なのです。ショーンやそういう人は、余計な主観や感情が混じらないのです。ありのままを必要最低限だけ伝える、そして、そういう人は、余計な主観や感情を抑えているわけではありません、ただ不要だから横によけているだけなのです。そして、その分心に余裕があるから、相手への配慮も持ち合わせている。そういう人と話していると、自分が人と接するときに、いかに無駄なものを持って接しているかがわかります。
「必要なものだけを必要なだけ」、それを突き詰めると、「正直に生きる」ことに繋がるのでしょう。

『グッド・ドクター 名医の条件』はまだまだ続いていくようです。私はまだ第1期を終えたところなので、まだまだショーンやその周りの人たちが私に多くのことを教えてくれることを期待しています。

それでは今日はこの辺で失礼します。