仕事を辞めて海外へ行くことにしました③

時は当然のように流れ、2025年4月。2年生の手を放す時が来ました。1年間しか教えていませんが、教えられるだけのことは教えた…という気持ちはありましたが、やはり申し訳ない気持ちは残りました(1年間だったので、こちらが思うほど大きな影響はなかったのかもしれませんが)。ただ、それ以降も、たまに会ったときに笑って話してくれる生徒たちが、私を自責の念から救ってくれました。この子たちを信じても大丈夫かな、と(大人として無責任ですが)思わせてくれました。
この頃の生活は、司法書士の資格試験の勉強が中心でした。少しの仕事(3年生の授業)をしながら動画編集も続けていました。私のやっていることは多くの人が歩むものと同じものではありません。周りに理解されない道で(数人の友人はこの辛さを共有してくれましたが)結果も出ず、それでも走り続けなければならない。本当にこの数か月は辛かったです…。当然ながら、自分のやりたいことのために、他人に泣き言を言うわけにはいきません。しかし、数か月後にせまった司法書士試験の勉強がやってもやっても一向に前に進まない…。一つ終わって少しはレベルが上がった?と思っても、次の問題で、まったく上がっていないことを思い知らされる…それでもやるしかない…。そんな景色の変わらない地獄のブースをぐるぐると回り続けるような毎日でした。
一方で、「やってもやっても進まない生徒」の気持ちが実感できた日々でもありました。今までに出会ってきたそういう生徒のことをしばしば思い出しては、改めて「あの子すごかったな…」と(勝手に)自分の励みにしたりしていました。だいたいの生徒は「届きそうな目標」を目指すものです。しかし、中には、到底届かなさそうな目標に対して、それでもあきらめず、こちらが辛くなるくらい賢明に取り組む生徒がいます。「一般的な受験勉強の頑張り」ではありません。気を抜けばこちらが「もういいやん」と止めてしまいそうになるくらいの頑張りです。塾講師を長く続けていても、あまり出会うことがないほどのとてつもない努力、それをしても結果に結びつかないという辛さ。この頃の私が経験したのは、まさにそういう生徒が感じていたものと同じものでした(いや、そういう生徒は往々にして3年間同じ熱量で努力するので、私と同列にしてしまうのは失礼ですが)。それがやっと「自分の苦しみ」として、感じることができました。今までは、そういう生徒に、「先生」として声をかけることはできても、「同志」として声をかけることはできませんでした。でも今後は、そういう生徒と出会ったら、おそらく私の言葉の端々は変わるだろうと思えます。その生徒が感じている痛みを、まったく同じ強さで想像できるからです。確かに辛い日々でしたが、「先生」としては、いい経験ができたとも思っています(結果は、ぶっちぎりの不合格でした)。

7月初め。3年生最後の授業をする時がきました。半分の時間で授業をし、残りの時間はサヨナラの挨拶の時間にさせてもらいました(授業の進度に影響しないように、他の科目がテスト休みになった時間を使って最後の授業をしました)。一人ひとりに言葉を送り、自分が辞めるに至った経緯をすべて話しました。数人の友人しか知らないようなことも、生徒たちにはすべて話しました。自分の勝手で辞めることになって、ずっと頭にあったのが、この子たちのことでした。最大の気がかりでした。この子たちには、ごまかさず、誠意をもって接さないといけないと思いました。幸い、しっかりと聞いてくれる子が多く、また、それぞれのやり方で温かく送ってくれました。最後の生徒がこの子たちで本当によかったと心から思えました。
そして、その話の中で、私の海外への想いも伝えました。
私はこのときすでに、日本である程度幸せに生きていけるだけのいろいろなものを手にしていました。しかし、私が人生で一番恐れることは「井の中の蛙」になってしまうことです。もっと広い世界があるのなら、もっと自分の可能性を広げる世界があるのなら、その世界を見てみたい。自分がまだまだこんなものかと痛感したい。「知りたい」のではない、この目で見て、全身で感じたい。そして、自分がどこまで通用するか試したい。通用せず壁にぶち当たるなら、その壁を前に自分がどう感じるのか見てみたい。そして、多様な価値観や考え方にもまれながら上になり下になりひっくり返されながら、「自分もその多様で広大な世界のたった一人だ」「日本で身につけたことなんてこんなもんか」と、知識としてではなく、実感として経験したい。それがこれからの「挑戦」や「豊かさ」への新たな糧になります。初めての世界に触れることによってしか出会えない、初めての自分。あるのかないのかわかりませんが、そういう自分に出会ってみたい。それが、私が海外へ行く理由でした。
人に聞かれたときは、だいたいは「英語講師として生きた英語を学びたい」とか「見たこともないようないろんな世界の観光地を巡りたい」と話していました。しかし、実際の理由は上に書いたとおりで、「英語」や「観光旅行」なんてものは、私にとってはおまけのようなものでした(不完全ではあっても、それらは日本でも置換できるようなものです)。
私にとって「海外へ行くこと」が、30歳の頃はネガティブで内的な目的によるものでしたが、10年を経て自然に、ポジティブで未来のための目的に変わっていたことは、うれしい変化でした。

塾の先生や友人も私を送る機会を作ってくれました。(大袈裟な表現ではなく事実として)周りのすべての人のおかげで、なんとかギコギコと船を出すことができました(船はたとえです笑)。新しい世界への旅立ちです。挑戦するには遅すぎる船出です。(そんなときはいつも、シンディローパーが30歳でデビューしたことや、伊能忠敬が55歳で地図を書き始めたことを思うようにしています。)
「人生に『遅い』なんてことはない。あるのは、やるかやらないか、それだけだ。」いくらでもネットに転がってそうな名言を実行するときです(笑)

そんなふうにしていよいよすべての「すべきこと」が終わり、「やりたいこと」に全振りする4か月が始まりました。ここからはカナダへ行く準備にすべての時間を費やしました。持って行く物の用意、手続き、英語の勉強、、動画編集。
この辺りは、YouTubeに動画として残しているので、よかったら、こちらをご覧ください。見てもらえたらわかると思いますが、知識も経験もない心配性な私にとって、すべてが手探りのことばかりでした。持って行く物、すべき手続き、初めてする英会話のための勉強。友人のアドバイスやYouTubeやネットの情報、さらには外務省にも電話してアドバイスをもらったりしながら準備を進めました。

そして、2025年11月4日。
いろいろな人の助けやメッセージを、買ったばかりの新品のリュックにぎゅうぎゅうに詰め、両親の見送りを背中に、日本を出発しました。