「知っている」と言える基準(『マツコの知らない世界』を見て)

こんにちは、inoue(e)です。
先日テレビ番組の『マツコの知らない世界』で切手を扱っていたのですが、ご覧になりましたか?
私も幼いころ、両親の影響で少し収集しかけたことはあったのですが、あまり興味を持てず、徐々に収集をしなくなりました。当時の私は、それよりも日本酒のキャップや牛乳瓶のキャップの収集のほうが楽しかったようです。もうなくなってしまいましたが、あの興味は何だったのでしょう(笑)

そんなわけで、切手自体にはあまり思い入れはなかったのですが、番組を見るともなく見ていました。切手の収集家として、山内さんという方と板橋さんという方が出演されていて、いろいろな切手を紹介されていました。私が感動したのは番組の中盤、切手のデザインをされている有名な作家さんを紹介するコーナーでの出来事でした。板橋さんが、貝淵順子さんや楠田祐士さんという作家さんを紹介するときはさすが収集家というだけあって、その作家さんの作風や特徴、エピソードなどを饒舌に話されていました。しかし、山田泰子さんという作家さんを紹介するときに、司会のマツコさんに話を振られると、「個人的にあまり存じ上げなくて…まだお会いしたことがなくて…」と返答され、その返答にマツコさんは笑っていました。
そのとき私は、この人すごい!と思い感動しました。

みなさんにとって、ある物事を「知っている」と言える基準はどの程度ですか?その物を評論、批判できるのはどの程度それを「知っている」ときですか?
板橋さんは、小学生のころから切手集めをされていて、現在は切手コンテストの審査員もされているそうです。当然、テレビで「切手素人」の私たちに話す程度には、山田泰子さんのことやその作風については「知って」いたでしょう。しかし、彼は、専門家としてテレビに出ているにもかかわらず、恥ずかしげもなく、少し申し訳なさそうに「知らない」と言ったのです。言えたのです。「直接お会いして話したことがないので…」と。彼にとっては、「知っている」と言うことが、その責任が、私たちが思うよりも重いものなのだということが推し量られます。そして、何よりも切手が好きで、切手作家さんたちのことをリスペクトされているのでしょう。この程度の知識や推測で「知っている」と言っては失礼だと。

みなさんにとって、ある物事を「知っている」と言える基準はどの程度ですか?その物を評論、批判できるのはどの程度それを「知っている」ときですか?

ネット上の誹謗中傷が社会問題になっています。有名人への批判、ニュースへの意見。意見や考えを持つことは当然で、そして、必要なことです。しかし、公に発表するほど、あるいは他人の意見を否定するほど、「そのこと」を知っている人はどれくらいいるのでしょうか。そして、「その人」を批判できるくらいその人のことが好きな人はどれくらいいるのでしょうか。

私は生徒と接し、成績や成長を促す仕事をしています。厳しいことを伝えなければならないときもあります。そんなとき、私は、どれくらい彼らを知っていればそれができるのでしょうか。知っているかどうかだけの問題でないことはわかっていますが、知ることも重要な要素であるはずです。

板橋さんの謙虚で愛情と敬意に満ちた姿勢は、私に「知る」ということと「話す」ということについて何かを与えてくれたようでした。もう少し考えてみたいと思います。

今日はこの辺で失礼します。